2009年9月16日
香取海について
古代関東平野東部に湾入していた内海である。後に湖となり、江戸時代まで下総・常陸国境周辺に存在した。『常陸国風土記』は、外海を「大海(たいかい)」、香取海を「流海(ながれうみ)」と表記しているほか、浪逆海(なさかのうみ)、内海(うちつうみ)など複数の呼称が存在した。
海面後退期に形成された侵食低地に縄文海進により海水が流入して発生した。当初は鹿島灘にはっきりと湾口を開いており、この時期の香取海を古鬼怒湾と呼ぶ事がある。 香取海はかつて、今日では独立した湖沼である霞ヶ浦(西浦・北浦)・印旛沼・手賀沼をひと続きにした広大な規模の内海であり、房総沖太平洋海運が可能だったかなど詳細については、現在でも盛んに研究が行われている。遠山成一の説によれば、常陸太平洋側から、利根川・鬼怒川・小貝川・霞ヶ浦・北浦などの内陸部、北総及び両総の太平洋側にかけて100例(舟戸・大舟戸・小舟戸・舟戸地・舟戸谷・船戸・船渡・上船戸・船見・舟津・小舟津・雪舟津・前舟津・船津・船津原・大船津等)を超す水運に関係する地名が見られ、房総沖太平洋海運が可能だったのではないかとされる。また、香取海の周囲には、多くの貝塚や古墳が分布しており、古くから海運を通した独自の文化圏が形成されていたのではないかと考えられている。また、平将門・平忠常ら東国の有力武士も香取海沿岸地域を根拠とした。
近世の始め頃に江戸幕府によって行われた利根川の瀬替え事業や1783年(天明3年)の浅間山噴火による火山灰の影響から堆積機能が増加し淡水化が進み、また度々、周辺の集落は水害に襲われるようになり、徐々に埋め立てられ陸地化された。
香取海と香取神宮
下総国一宮香取社(千葉県香取市)は、古来から香取村以下12村を社領主体として存続していた。神主(大宮司職)は、大中臣氏が務め、平城京の時代には摂関家藤原氏の氏神である春日神社に鹿島神宮と共に香取神宮の神を勧請して祭神するなど藤原氏との関係が深かったされる。平安時代末期になると社領は、香取海の周辺に広がっていき、そこでは、さまざまな権益が認められるようになった。その支配権は、中世成立期の国衙公権の分有に関わるとされ、「浦・海夫・関」も対象であったという。具体的には香取社が江戸湾に通じた古利根川水系の河関と香取海での海夫の支配を握っていたということを示す。また、関・海夫の支配は、形式的な供祭料・神役の徴収権を越えて、古利根川と香取海での支配権に通ずるものであったという。南北朝時代の1374年(文中3年)に書かれた「海夫注文」では、下総津国宮津以下24津、常陸国大枝津・高津津以下53津の計77の津が記されている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
香取神宮はとても有名ですよね。一度訪れたいです。
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